不安と期待でみたジブリ最新作「コクリコ坂から」
いやあ面白かった。誰も空を飛ばない(飛び降りるけど)大冒険もない、それでも胸躍るし、宮崎作品に共通する自分の足で立ち、走る主人公達は健在。気持ちの良いなかで劇場をあとに出来る。
その意味ではとても良かった。宮崎吾朗監督。ちゃんと監督してるなあ。
脚本もいい。丹羽 圭子って誰?と思ったら、元アニメージュの編集者で、中村香名義で「海がきこえる」の脚本。アニメ的な動画カタルシスは薄いけど、丁寧に描写されるジブリの作画世界観は健在。
・・・なんだけど、なんだろう、この違和感。
1963年の横浜から2011年の東京に戻ってきた違和感?。50年近くの時を越え、なにかが間違ってしまった世界への違和感?いや、違う。
コクリコ坂からの描く世界が、現在に繋がっていない異世界だったのだと思うのだ。
以下、mono-logue初の?映画レビュー(いや、感想?)。コクリコ坂からのネタバレも含むし、好きな映画の悪口を聴くのは、恋人の悪口を聞く次に不愉快なものなので(笑)映画未見の方、コクリコ坂からをとても好きになった方(それも分かる気がする)はブログを閉じていただくのがいいかもしれません。
また、コクリコ坂からを見たのは1回のみで、読み落としや勘違いもあるかもしれませんし、原作は未読(妻に言わせるとそこそこ面白いらしい)意識的に関連テレビ番組や書籍、インタビューはなにも見ないようにしていたので、誤解や誤読もあるかもしれません。
(唯一、クマデジタルさんのとこで宮崎駿氏のインタビューを見てしまった(^_^; ので、その内容は予断として含みます)
写真はすべて数年前に横浜で撮影
63年5月の横浜のアパートと高校が舞台。
ワタシが実はどんぴしゃに63年5月生まれ、監督の宮崎吾朗氏は67年生まれ。環境や土地の違いはあるものの、ワタシと吾朗氏は比較的近い世代感のなかにいて、オリンピックを目前とした高度経済成長さなかの60年代は実体験をしていない。
だから描けないとかは露ほども思わないが、自分の見ていない空気感を描く想像力(創造力といってもいいか)は、なんらかのフィルターを通さざるを得ない。
このフィルターが、企画「宮崎駿」であることは半ば必然だ。そして、宮崎駿氏が学習院大学を出て、東映動画に「就職」したのがまさに63年4月であるのは偶然の一致ではあるまい。
大塚康生氏の著書「作画汗まみれ」(ワタシが持ってるのは増補改訂前の文庫版)その他によれば、入社翌年には、駿氏は東映動画労組の2代目書記長として会社と仕事の両軸で戦いの日々を送っている。カルチェ・ラタンの話が、単なる舞台背景ではないのは明らかだ。
アパートの住人が肩を並べて歌う。学生がけんか腰の議論を行う。きっと当時は珍しい光景ではなかったのだろう。(唯一みた)駿氏のインタビューにあるように「人はどう生きなければいけないか、志をどういうふうにもたなければいけないかをずっと考えてきた」若者がいた時代なのだろう。真摯に。
だけど、駿氏は知ってるはずだ。
60年安保から60年代後半の学生運動の流れの中で、闘争は先鋭化し、武装闘争化していく(この辺は押井守のフィールドだ)。カルチェ・ラタンってパリの学生街ってイメージであると同時に、日本でカルチェ・ラタン闘争といえば神田駿河台(ワタシもよく馴染んでいます(笑))をバリケード封鎖した事件だし、それが68年ってことはコクリコ坂の主人公が大学生時代。
それをバックボーンに置きながら、登場人物達はすこぶる理知的で、同時に「かわいい」。
哲学研(?)はディオゲネスを唱い(んでも、あそこで犬儒派?と思ったのはワタシひとりではないはず)、現代詩サークル(だっけ?)は宮沢賢治を唱う。(さらに言えば、ここで唱われた生徒諸君に寄せる は、劇中で使われた新しい時代のコペルニクスよ、のあと、新たな時代のマルクスよ、と続いていく)
そんな連中が討論会では殴り合いを行い、そして、体制側(学校教員)が来るのがわかると、途端に争いを止め、全員で合唱しているのだ。なんと抑制され、秩序だった連中。
この映画が描写のリアルさと正反対にファンタジーに思えてしまうのがここだ。
理知的で、熱く、体制との対立も厭わない。それでいて行動は抑制されていて社会的。
さらにそんな連中が対峙するのが「正しい大人」。徳丸(徳間のもじり?)社長の洞察力の深さ。LST(戦車揚陸艦)ですべてを理解し、主人公達の直訴は成功する。え?と思ったのはワタシだけ?
理事会の決定ってことは、アナタの承認事項ではないの?逆説的に言えば、理事会決定をオーナーの一存で反故にするというのは、主人公達の「みんなで考え、議論し、行動する」理念の否定ではないの?古いものを壊すのは過去の記憶を捨てること、というカルチェラタン話(本作は、カルチェラタン話と主人公の恋愛話が併走する物語だ)のテーマは、支配者の納得で終わるトップダウンのものではなく、学生集会(当初少数派)→メルを旗主とする女子学生の大掃除作戦(女子学生のシンパシー獲得)→学生全体の共感(ここまでは劇中で足早ではあるがきちんと描写される)→→現場(学校の)体制側(教員)のシンパシー→現場体制の巻き込み→支配者階層へのアクション と普遍していってこそ意味のある思想ではないのかなあ。
直接対峙する体制を飛び越えて、本丸への直接攻撃というのは戦術としてはアリだけど、そこに思想の正当性は意味を持たないじゃん。学生全体の共感を得ようが得まいが、徳丸さんひとり落とせばいいってことだから。
ああ、現実社会ってそうだよね、ってのは分かってる。ワタシも現実の話なら、バラン星も七色星団もスルーして、ガミラス本星に直接攻撃をしかける(笑)もっといえばデスラー暗殺に特殊部隊を投入する。
現実はそうでも、このテーマの解決がそれって拙くないか?
会社に新入社員が入る。ダメダメな職場。社員も管理職も前を向いていない。切れた熱血漢の主人公が僅かな同志と共に役員会に乗り込んでアジテーション。CEOがうむ、元気があってよろしい。と改革を約束してハッピーエンドって脚本、駿氏がもっとも嫌うパターンだと思うのは気のせい?(余談だが、これ押井守ならカルチェラタンだけでテロと愛憎が交差する凄いの1本つくると思う)
そうなのだ、ここに出てくるのは若者も大人も、まっすぐでいいひとたちだけなのだ。
いかにもな悪がいないのはジブリ映画の特徴なんだけど、清濁併せ持つキャラクターは配置されていたように思う。そういうキャラクターが純朴で出来すぎた、逆に言えば浮き世離れしてる主人公達とリアルな社会の実感、我々の汚れた感情とを繋ぐ役目を果たしていたと思う。今回、それがないんだよなあ。
しかも、今回、主人公のひとり(だよね)風間俊は討論会でアジテーションをぶつなかで、大衆軽視にも思えるセリフを吐く。あれに目をハートにしちゃう主人公海(なんでメルなの?)もよくわかんない(いや、そういうもんだよ、とも言えるけど、ジブリアニメヒロインのメンタリティではない)。63年は大学進学率がちょうど20%を越えた時代、当時のエリート(?)学生の感覚がそんな風潮だった可能性はあるけれど、水沼じゃなく風間がこういうセリフの設定は驚いた。そういうセリフは、クシャナあたりの役なんだけどな。
ついでに書いとくと、風間くんは主人公海をずっとメルと呼んでいる(なんでメルなのか原作未読のワタシにはわからないけど)、松崎さん、でも、君、でもなく、メル、だ。なのに、メルがすべてをねぐって、風間に好きと告白したとき、僕(オレ?)も「お前が」好きだ、って言ったのにもちょっと驚いたけど。
冒頭に書いたように脚本の丹羽 圭子さんはいい脚本を書く人なので、このあたりの台詞回しにも意味やキャラクターの人物像が深く仕込まれているはずなのだけど、ワタシには理解できなかった。
さんざんケチを付けたように思えるが、それでも、コクリコ坂からは面白かった。あの時代の息吹を直接知らないワタシだが、河合塾で牧野剛氏の授業(余談とも言う)をずっと受けてきた記憶が蘇る刺激的な映画だった。
そういう余談(予断)も含めて見ると、映画のラスト、スタッフロールが非常に短く、そして職能別(原画、動画、背景・・・)になっておらず、五十音順になっていたのが重要な意味を持つように感じる。
あのスタッフロールは、近年、長くなる一方のスタッフロール(CGI駆使の洋画だと数分あるもんね)へのアンチテーゼと捉えることもできるけど、ピラミッド型のヒエラルキー構造をもつ映画制作を象徴するスタッフロールをあえてただの五十音順にすることで、ジブリはスタジオ内の意識も変えようとしているのかもしれない。
(単に劇中のカルチェラタンのようなごった煮を演出しただけかも知れないけど)
コクリコ坂からは、団塊世代のノスタルジー色が気にならない(あるいは心地良い)なら、とても楽しめる映画だ。ワタシは十分楽しんだ(ほんとだってば)。ちょっとだけ(?)違和感が残っただけなのだ。
クマデジタルさんのとこで見た宮崎駿氏のインタビュー
「お金という物資の崇拝がますますはびこって(中略)それは特に1980年代以降だと思いますけども」
ワタシが高校生から大学の時代ですね。そして、その時、社会の中堅になっていたのは、まさにこの映画の登場人物たちの世代。
その世代の青春時代を描くのに、「上を向いて歩こう」だけ、なのが、この映画の違和感だと思う。それこそ当時を知らないワタシが言うのは身の程知らずだけど、上を向いて歩こう ってそのあとに、涙がこぼれないように、って続くように、「それでも、上を向いて歩こう」という歌だとワタシは思っているんだけどなあ。
余談:コクリコ坂からの挿入歌の大半は作曲、谷山浩子なんだなあ。実はけっこう好き。作画汗まみれはアニメーション職人の極みと(ワタシが)信じる大塚康生氏の重要な著作。あの時代のアニメーターのメンタリティを知りたいなら必読と思う。
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「海」さんを「メル」と呼ぶの、私も何故?と思いましたが、途中から海のことをフランス語で「ラ・メール」というので、その「メル」かと思いました。カルチェラタンもフランス語ですしね。
映画「コクリコ坂から」ノスタルジーに今は浸る時じゃない
「コクリコ坂から」★★★
岡田准一、長澤まさみ、風間俊介、
大森南朋、竹下景子、石田ゆり子、
柊瑠美、風吹ジュン、内藤剛志、声の出演
宮崎吾朗監督
91分、2011年7月16日より全国公開,
2011,日本,東宝
(原作:原題:漫画:コクリコ坂から )
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