米国に遅れること1ヶ月。ようやくiPadが日本で発売になる。発売直前の課題は、クマデジタルさんとこでイメージトレーニング済(笑)
外部バッテリーの問題について言えば、iPhoneと異なりiPadをどこまで持ち歩くのか、正直イメージできていないので実際に使いながら考えていくしかないと思ってる。
個人的に、iPadで重要なポイントは、「iPadには「ログインユーザー」という概念が(少なくとも今のところ)ない」ということ。
クマデジタルさんも書かれているように(というか、銀座のレトロな茶店で話したのだが)、例えばリビングで家族でシェアするとしたら、メールも、Safariのブックマークも共有する、ということだ。
メールアカウントやブックマークを設定しないという選択肢や、共有専用のダミーアカウントを作るという運用もあろう。だが、それは同期するだけでパーソナルな環境を持ち運べるiPhone、iPadの特性を半分スポイルするようなものだ。
プレゼンテーションの名手でもあるジョブスは、iPadの発表において、ステージに置かれたソファに足を組んでゆったりもたれて座り、書斎やワークテーブルで前のめりになって使うMacを含むパソコンとiPadの本質的な違いを、シンボリックに演出して見せた。
(発表会の写真: ASCII.jpへのリンク)
リビングを想起させるビジュアルとリラックスした雰囲気から、我々(いや、ワタシ)は、リビングでファミリーが使う新しい存在、をイメージした。
しかし、それは違うのかも知れない。ジョブスは最初からiPadをシェアする端末だとは思っておらず、もっとパーソナルなデバイスと位置づけている可能性があると思う。
もちろん、次期iPad OSでマルチユーザーがサポートされる可能性もある。
だが、そうではなく、iPadは個人に紐付けされたパーソナルデバイスではないのか。
何が出来る、出来ない、という製品の仕様は、ハードウエアの都合だったり、バグの言い訳だったり(♪バグは夜更け過ぎに、仕様へと変わるだろ〜、という名曲もあることだし)もするが、まれに、仕様が理念、を表す場合がある。
機能を付け足すのではなく、そぎ落とすことにかけて、もっともシャープな感性を見せるジョブスは、iPadの単一ユーザーを現状、ではなく、理念としている可能性は少なくないと思う。
でもなあ、リビングで思い思いにくつろぐ家族が、それぞれiPad持ってたら、家族ゲームみたいじゃん(ふるい?)と思ってしまう。
ユーザー切換をもつか(ファストユーザースイッチなんてiPadらしい見栄えでイイと思うんだけどな)、もしくは固有のアプリに起動パスワードが設定できたら問題解決なのだけどあ。
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ログインの起源は、高価な大型コンピュータを何人もの人たちで共有する事だったと思いますが、これからのログインという行為は、クラウドなどサービスへ進入するときに使うのだと思います。
そのときにユーザーが使うデバイスはiPadやiPhoneなどのポータブルなもので、これはひとりに1台ということなのでしょうね。
この観点で見れば、Macintoshはまだコンピュータ色が残っていて、ログインの名残?があります。
これからのコンピュータ的なデバイスを語る時に、ログインするものかどうかという視点は、キーになる気がします。この点は自分の中でももう少し考えてみます。良いヒントをいただけました。
やはりひとりに1台だと思います。ちなみに自分と妻の2台予約してます。
iPadとiPhoneとiPodを微妙に差別化して
状況に応じて使い分けてね
って売り方ですから
「ログインユーザー」という概念は今後も無いと思います
ニーズ把握の調査の中でこのエントリを見つけたのですが、リンク先のアプリを開発しております(アップル審査中)。ご意見いただけますと幸いです。