レ・ミゼラブル(映画)良かった。これ、原作(小説)の映画化じゃなくて、ミュージカルの映画化なんだね。(そんなことも知らずに見に行った)
そのせいで事実上、名場面集みたいなもので、登場人物の心情を丁寧に追っていないのだけど、ミュージカルというのは、「歌」が、ト書きのように叙情を説明するから、いきなりファンティーヌが「夢破れて」を歌っても成立する構造なんだと思う。
で、この映画は、その構造をトム・フーパーは手法として援用し、ダイジェストなのに長い(笑)物語を、叙事に終わらせずに展開してると思う。彼の英国王のスピーチより好きかな。
以下、長いしネタバレありなので注意してください(いまさらネタバレもないけど)
ああ無情、って、中学生の頃だったかなあ、読んだの。
たぶん、ジュニア版で、特に感動もしなかった(苦笑)
で、社会人になりたてのとき、帝劇のミュージカル版(初演)に行って、歌主体のミュージカルに圧倒された。
ミュージカルは好きでいろいろ見に行ってたけど、キャッツに代表される「歌い、踊る」ミュージカルじゃなくて、歌でみせる、もの。
今思うと、鹿賀丈史と滝田栄が、ジャン・バルジャンとジャベール。
ファンティーヌは岩崎宏美
エポニーヌに島田歌穂、コゼットは斉藤由貴
マリウスに野口五郎、アンジョルラスに内田直哉
すごい布陣だ。島田歌穂は圧巻だった。
それはともかく(ともかくなのか?)
中学生、社会人新人。そして四十代の終わりのいま、レ・ミゼラブルの見え方、感じ方が、自分にとって違ってて、改めて感動した。
コゼットが斉藤由貴で、島田歌穂がエポニーヌだったのも、よく分かった(笑)し、皆、神に祝福されながら、ボロボロに扱われて、自分勝手に生きていく。
仲間のすべてを殺され、ただひとり帰ったマリウスのまえで、健気に愛と未来を語るコゼットの精神性(無神経さ?)にはため息が出るし、そー育てちゃったのはジャン・バルジャンだし、そんなコゼットの前で呆然としてるマリウスくんは、つい前日、彼をかばって撃たれたファンティーヌをその腕の中で死なせたばかりだったのに、コゼット☆らぶで結婚式へなだれ込むし。
でも、これでいいんだと思う。
カリカチュアされてるけど、そうとうイヤな人物であるテナルディエ夫婦も含め、登場人物すべてが、不完全で、それでも、愛されている。そんな物語がレ・ミゼラブルだ。
そのラストシーンは映画的魅力に溢れてて、(映画の中の)現実では実現しなかったバリケードにパリ市民が集まっていて、高らかに民衆の歌(別バージョン)を謳う。
帝劇では内田直哉が歌い、最高に格好良かったけど、映画版のフィナーレは、とても素晴らしかった。